Life style




高層ビルの連なる街並みの向こうに広がる西の空が紅く燃えていた。
紅の中心にある沈みかけの太陽が蜉蝣のように揺れている。
真夏の白い太陽とはまったく異なるその色に、季節が少しずつ変っていくのをジェレミアは感じていた。
ブリタニア軍内にいた頃にはこんな風に紅く染まった空を眺めながら時を過ごすことなど一度もなかったことだ。
それでもエリア11での生活が短くはない彼は、この国特有の四季の移り変わりというものをいつの間にか肌で感じられるようになっている自分が少しだけ可笑しかった。

―――もうすぐ夏が終わる

そんなことを考えて、自嘲気味な笑みを口端に浮かべたジェレミアは東京租界のホテルの一室で、日没間近の紅い空を眺めながらじっと夜が来るのを待っていた。
新しい主に言いつけられた工作活動は隠密裏に進めなければならない。
そのために必要な闇をジェレミアはじっと待っているのである。
黄昏色の中で、ジェレミアはこれまで軍人として、貴族として陽のあたる場所を選んで歩いてきた自分にはもう戻れないことを嫌というほど実感させられる。
それでも自分を哀れむつもりは毛頭ない。
寧ろ自分の数奇な運命を「神」に感謝したいくらいだと今は思っている。

―――ルルーシュ様のためにお役に立つことができるのなら・・・

まだ少年の面差しが残る主の顔を思い浮かべて、ジェレミアは沈みきった太陽の残す紅に背を向けた。










部屋を出ようと、ドアノブに手をかけた瞬間に、ルルーシュに持たせられた携帯電話が静かに着信を知らせた。
脚を止め、そのディスプレーを確認すると着信はルルーシュからだった。
ジェレミアが隠密裏の行動をとっていることは命じた本人が一番よくわかっている。
よほどのことがない限り、ルルーシュの方からはジェレミアに連絡をいれることはない。
持たされた携帯電話はジェレミアが行動の成果を報告するためだけに使用されていた。

―――なにか今度の行動に不備が生じたのだろうか?

鳴り止まない着信にジェレミアは不審を感じ、恐る恐る通話ボタンを押した。

「ジェレミアかッ!?」

電話の向こうから聞こえてきた主の慌てた声にジェレミアの表情が引き締まる。

「はい、ルルーシュ様」
「今どこにいる?」
「ルルーシュ様のご命令どおり租界内に潜伏しておりますが」
「緊急事態だすぐに戻って来い!計画は一時中断だ」
「なにか問題でも?」
「そうじゃない!第一級優先事項だこっちの人手が足りない!とにかくすぐに戻れ!」

「かしこまりました」と、ジェレミアが返事をし終わる前に一方的に切られてしまった通話にかなり切迫した事態が想像された。

―――なにか大変なことがルルーシュ様の御身に起こっているに違いない。急がなければ・・・!

僅かな荷物をまとめて、ジェレミアは足早に部屋を後にした。











―――・・・一体なにが起きている?

アッシュフォード学園内のクラブハウス内にあるルルーシュの居住スペースに通じる裏通路を早足で進むジェレミアの不安は、一歩足を運ぶにつれて大きさを増すばかりだった。
ルルーシュの慌てた声が耳を離れない。
そんな君主をジェレミアは知らない。
「ゼロ」として対峙した時も、「后妃マリアンヌの嫡子」として対面した時も、ジェレミアの前ではルルーシュは冷静沈着で常に自信に満ちていた。

―――一体なにが!?

頭の中で再び同じ疑問を繰り返すと、不安が苛立ちを募らせる。
思った以上に長く感じる通路に、ジェレミアの足音が耳障りなほどに響いた。
やっと部屋の前に辿りつくと、今度は静か過ぎるほどに静まり返った空気に、より一層の不安がジェレミアを襲う。
恐る恐る、かなり控えめに入り口のドアをノックすると、少し間をおいて内側から扉が開けられた。

「ジェレミア卿。お待ちしておりました」

開いた扉の向こうには複雑な表情をしたヴィレッタが立っていた。
それはジェレミアにとって予想外だった。
てっきり室内にはルルーシュがいると思っていたからだ。

「一体なにが起こったというのだ?状況を手短に的確に報告してくれ」
「それが・・・」

かつての腹心の部下にジェレミアの口調はついつい昔にもどってしまう。
しかしヴィレッタはジェレミアから視線を外すと困ったような表情を浮かべたまま言葉を濁して、「とにかく中へ」と一歩下がってジェレミアに道を譲った。

「ヴィレッタ、何をしている!早くそっちを仕上げてくれ!それが終わったら次は・・・」

ジェレミアが室内に一歩足を踏み入れた途端、ヴィレッタの肩越しに部屋の奥から聞こえてきたのは紛れもないルルーシュの声だった。
その声にはかなり切迫した様子が窺える


「ルルーシュ様・・・」

堪り兼ねて歯切れの悪いヴィレッタはこの際無視し、ジェレミアはツカツカと早足で声のする方へと歩き出す。
奥まった部屋の一角にルルーシュはいた。
ルルーシュばかりではない。一つのテーブルを囲んでロロも咲世子もいる。
そしてヴィレッタをあわせた四人のメンバーが集まっていたことになる。
囲んでいるテーブルには書類の山が築かれていた。
その状況を見ただけではジェレミアには現況がまったく理解できない。

「これは一体・・・」
「ジェレミアか?待ちかねたぞ。ところでお前、理数系と文系どっちが得意だ?」
「・・・はぁ?」

ルルーシュの突然の質問の意図がジェレミアには理解できなかった。

「だから!理数系と文系どっちが得意かと聞いている!!」

少し苛立った主の声にジェレミアは戸惑いながらも「・・・どちらかといえば理数系ですが」と正直に答えた。
その声を待っていたかのように、ロロが無言でジェレミアの目の前に大量の書類を運びこんだ。


「お前は数学担当な」

テーブルの上座で視線を落とした書類から顔を上げることなく、そう言われてもジェレミアにはさっぱり理解できない。


「あ、あのぉ・・・ルルーシュさま、これは何の書類でしょうか?」

目の前に積まれた数式がびっしりと並んだ紙とルルーシュの姿を交互に見つめ、ジェレミアの混乱は収まらない。

度重なる質問についにルルーシュが顔を上げた。
その目が真っ赤に充血している。

「宿題・・・」

ぽつりとルルーシュが呟く。

「夏休みの宿題がまだ全然終わらないのだ・・・」

その声には絶望にも似た諦めが含まれていた。

明らかに疲労と睡眠不足が見て取れる主のその顔に思わずジェレミアの表情が引き攣った。

「ル・ルルーシュさま・・・・ひょっとしてこれ全部・・・なのですか?」

テーブルの上の山積みになっている書類を指して、そう問いかければルルーシュはコクリと頷く。

「し、失礼ですが・・・どれくらいやってなかったのですか?」
「・・・どれくらいと聞かれると困るが・・・正直全然手もつけていない。やり始めたのは昨日の夕方からだ・・・」

夏休みは2ヶ月近くあったはずだ。
ルルーシュの答えにジェレミアは眩暈を覚え、痛む頭を抱えた。

「ルルーシュ様ッ!!」
「・・・ジェレミア。説教ならあとからたっぷりと聞いてやるからとりあえず今は宿題を終わらせることが最優先だ。がんばってくれ」
「し、しかし・・・」

ふっと隣に座った咲世子をのぞき見れば、何やら歴史のプリントらしきものが窺えた。
はす向かいのロロは課題図書を速読している。
少し離れた床の上には画用紙が広げられていて、ヴィレッタが絵画に勤しんでいた。

―――何故ヴィレッタが絵画なのだ?

かつての部下が芸術系に精通していたとは聞いたこともないジェレミアは訝しげな表情を浮かべた。

「・・・そう言えば、ヴィレッタは昔お前の部下だったそうだな?」
「はい」
「こう言ってはなんだが・・・部下には体力も大事だがもう少し勉学を推奨させた方がいいと思うぞ・・・」

これまで部下の実戦成績は気にはしていたが、学力はあまり気にしていなかったジェレミアはそうルルーシュに言われて、穴があったら入りたい心境だった。

「と、ところでルルーシュ様。こんなことをしていて黒の騎士団の方はよろしいのですか?」

都合の悪い話題をはぐらかすために話を切り替える。

「ああ、それなら大丈夫だ。あっちは今頃騎士団総掛かりでカレンの宿題をやっているはずだからな・・・向こうは人海戦術、質より量で勝負らしい」
「・・・・・・・・・・・」

ジェレミアは自分の進むべき道が迷路の中にあるような気がした。


黒の騎士団最強の敵。
それは夏休みの宿題・・・。